狩野永納

作者名よみかのうえいのう
作者名欧文KANO Eino
生没年1631 - 1697(寛永8 - 元禄10)

略歴・解説

17世紀半ばから後半に活躍した画家。
狩野山雪の長子として京都に生まれる。母は、狩野山楽の娘。字を伯受といい、一陽斎・梅岳・山静などと号し、通称を縫殿助といった。
慶安4年(1651)21歳の時、山雪の死により京狩野をついだ。山雪の草稿を永納が編集・増補し、元禄4年(1691)に公刊した『本朝画史』は、日本絵画史研究の基本的文献のひとつとして名高い。67才で没。
その画は、京狩野の伝統をついで装飾性ゆたかな一面をみせるものの、山雪没後、江戸狩野の様式の影響をうけて、形態は優美なものに変容し、山雪画とは異質な、穏やかな画風をしめしている。
なお、山雪の時代、京狩野は徐々に公儀の画作から遠ざけられていったが、山雪の没後、永納は、寛文度・延宝度の各御所造営の障壁画制作に、狩野探幽・安信に従って、下位ながら参加し得ており、京狩野の画風変化とこの事実は密接な関係を有しているだろう。

1999年『狩野派の世界 ―静岡県立美術館蔵品図録―』、p. 53をもとに執筆。

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