カミーユ・ピサロ

作者名欧文Camille PISSARRO
生没年1830 - 1903

略歴・解説

デンマーク領西インド諸島セント・トマス島の生まれ。フランス系ユダヤ人の子。1855年パリに出てエコール・デ・ボザールに入学。コローの影響を受ける。1859年風景画がサロンに初入選。この頃よりアカデミー・シュイスに通い始め、モネやセザンヌらと知り合い、印象派における中心的存在となる。1874年第1回印象派展に参加。以後、1886年までの計8回に及ぶ印象派展すべてに出品し続けた唯一の人物であった。普仏戦争を逃れて避難したロンドン郊外や、帰国後移り住んだルーヴシェンヌやポントワーズにおいて、農村の風景や人物をモティーフに制作。1880年代には点描画法を採用。晩年には、パリの俯瞰的な都市風景を描く。堅固な構成と情趣に富む作品が多い。ピサロは印象派の中での有能な教育者であり、多くの画家の模範であった。セザンヌやゴーギャンは彼を称える言葉を残している。パリにて没。

1996年『静岡県立美術館コレクション選』、p. 173

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