狩野探雪守定

作者名よみかのうたんせつもりさだ
作者名欧文KANO Tansetsu Morisada
生没年1655 - 1714(明暦1 - 正徳4)

略歴・解説

17世紀後半から18世紀前半に活躍した、江戸狩野派の鍛冶橋家系統の画家。
狩野探幽の次男として生まれる。幼名は観千代、のち守定。主殿(とのも)、探雪と称し、松嶽(しょうがく)、孟隣斎(もうりんさい)と号す。
延宝2(1674)年、父・探幽が没し、遺言に基づき探幽の知行地二百石のうち百石を相続し、別家を立てる。
寛文度(1662年)、延宝度(1674~75年)、宝永度(1708年)の内裏造営に参加、天和2(1682)年度、正徳元(1711)年度の贈朝屏風を制作するなど、江戸狩野派の中心メンバーとして活躍。
正徳4(1714)年、60歳で没し、実子・狩野探牛守睦(たんぎゅうもりむつ)(1696~1714)がほどなくして病死したため、探雪の家は断絶した。
血統が続かなかったこともあり、兄・探信守政に比べ、後世に与えた影響は少ないようであるが、画家としての力量は探信守政に勝るとも劣らない。
従来、探雪の現存作品は少ないと考えられてきたが、数多く制作に参加している合作を抜かしても、六十点以上の作品が確認される。
血統が続かなかった当時の江戸狩野派の画家としては多くの作品が伝存しており、没後、探雪の名声が衰えなかったことが推察される。
代表的な作例には、《鶴図襖絵》(大徳寺玉林院)、《四季花鳥図屏風》(板橋区立美術館)、《宇治茶摘み図巻》(チェスタービーティーライブラリー)、《源氏物語画帖》(福岡市美術館)、《観音図》(ボストン美術館)などがある。

※山下善也「狩野探幽はじめ江戸狩野三十六名合作の《牛馬図》双幅」(『静岡県立美術館研究紀要』17号 2001年)
 門脇むつみ「第二章 次世代の画家たち」(『巨匠狩野探幽の誕生』朝日新聞出版 2014年)
 榊原悟「探幽家の台所事情」(『狩野探幽』臨川書店 2014年)
 野田麻美「ポスト探幽世代の画家たちについて―狩野安信・常信・探信・益信・探雪『名画集』(個人蔵)の史的位置―」(『静岡県立美術館研究紀要』32号 2017年)

2021年『忘れられた江戸絵画史の本流―江戸狩野派の250年/江戸狩野派の古典学習―その基盤と広がり』、p. 137

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