建部綾足

作者名よみたけべあやたり
作者名欧文TAKEBE Ayatari
生没年1719 - 1774(享保4 - 安永3)

略歴・解説

18世紀半ばに活躍した俳人、画家、国学者。
はじめ喜多村氏、後に建部と改める。名は久域、字は孟喬。通称金吾。涼岱、綾足、寒葉斎、浅草庵などと号す。
陸奥国弘前藩津軽家家老の次男として生まれるが、出奔して諸国を遍歴する。俳諧を学び、俳人として活躍。延享2(1745)年、京都では彭城百川を訪れる。
寛延3(1750)年、長崎に赴く。翌年大坂へ移動、その後眼病を患う。
宝暦2(1752)年、江戸に出るが、宝暦4(1754)年、再び長崎を訪れた。
二度の長崎訪問では、熊斐に花鳥画を、費漢源に山水画を学んだ。
宝暦6(1756)年、江戸に戻る。
宝暦12(1762)年、『寒葉斎画譜』を刊行。晩年には『本朝水滸伝』など読本の分野で活躍した。
目を患ったこともあり、南蘋風の緻密な描写は用いず、筆墨表現に重点を置いた様式を確立。画譜類を通じ、黒川亀玉に続き、南蘋派を江戸に広める役割を果たした。

2019年『諸派興隆―十八世紀の江戸画壇』リーフレット、p. 24

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