アントニー・ワーテルロー

作者名欧文Antonie WATERLOO
生没年1610頃 - 1690

略歴・解説

アントニー・ワーテルローはフランドルの織物職人の息子。1609 年5月6日リールで洗礼を受ける。父は宗教的迫害を避けて、後に家族とともにアムステルダムに移った。1650 年から53年の間は、アムステルダムの地誌的な眺望を描く仕事に従事した。2年後、ライン川下流に沿って旅をし、ユトレヒト、アーネム、ナイメーヘン、クレフェスの眺めを素描に描いた。このとき、フランス経由でイタリアも訪れた。1655 年から60年の間にはドイツ北部とポーランドを旅して、アウグスブルク、リューネブルク、ハンブルクなどを訪れた。1674 年に妻を亡くした後、ユトレヒト近郊のマールセンに移り、最後にユトレヒトで没するまで10年間そこに留まった。
画家であると同時に画商であったと考えられるワーテルローは、独学であったらしい。彼の作品は主に素描とエッチングだが、わずかに油彩画も知られている。彼の風景を扱った油彩画の点景人物を描いた協力者として、ヤン・ウェーニクス(Yan WEENIX, 1642 - 1719)などが知られている。当時版画家として名高かったワーテルローには、およそ140点の作品が帰されており、その大部分がオランダとイタリアのモティーフを伴う森林風景で、通常連作で刊行された。

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