古城
作品名よみ | こじょう |
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作品名(欧文) | The Ruin |
作者 | ヨハネス・ライシャー/アントニー・ワーテルロー |
種別 | 版画 |
受入番号 | 1304 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | P-252 |
員数 | 1 |
形状 | マット装 |
寸法(cm) | 8.8×10.2 |
材質 | 紙、エッチング |
材質英文 | Etching on paper |
制作年(西暦) | 1660以前 |
記銘、年紀 | (画面左上)A.W. ex. |
受入年度(西暦) | 2004 |
受入年度(和暦) | H16 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 風景、西洋 |
静岡県立美術館 デジタルアーカイブ
作品名よみ | こじょう |
---|---|
作品名(欧文) | The Ruin |
作者 | ヨハネス・ライシャー/アントニー・ワーテルロー |
種別 | 版画 |
受入番号 | 1304 |
枝番号 | 0 |
分類番号 | P-252 |
員数 | 1 |
形状 | マット装 |
寸法(cm) | 8.8×10.2 |
材質 | 紙、エッチング |
材質英文 | Etching on paper |
制作年(西暦) | 1660以前 |
記銘、年紀 | (画面左上)A.W. ex. |
受入年度(西暦) | 2004 |
受入年度(和暦) | H16 |
受入方法 | 購入 |
キーワード | 風景、西洋 |
作者名欧文 | Antonie WATERLOO |
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生没年 | 1610頃 - 1690 |
略歴・解説 | アントニー・ワーテルローはフランドルの織物職人の息子。1609 年5月6日リールで洗礼を受ける。父は宗教的迫害を避けて、後に家族とともにアムステルダムに移った。1650 年から53年の間は、アムステルダムの地誌的な眺望を描く仕事に従事した。2年後、ライン川下流に沿って旅をし、ユトレヒト、アーネム、ナイメーヘン、クレフェスの眺めを素描に描いた。このとき、フランス経由でイタリアも訪れた。1655 年から60年の間にはドイツ北部とポーランドを旅して、アウグスブルク、リューネブルク、ハンブルクなどを訪れた。1674 年に妻を亡くした後、ユトレヒト近郊のマールセンに移り、最後にユトレヒトで没するまで10年間そこに留まった。 画家であると同時に画商であったと考えられるワーテルローは、独学であったらしい。彼の作品は主に素描とエッチングだが、わずかに油彩画も知られている。彼の風景を扱った油彩画の点景人物を描いた協力者として、ヤン・ウェーニクス(Yan WEENIX, 1642 - 1719)などが知られている。当時版画家として名高かったワーテルローには、およそ140点の作品が帰されており、その大部分がオランダとイタリアのモティーフを伴う森林風景で、通常連作で刊行された。 |
作者名欧文 | Johannes RUISCHER |
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生没年 | 1625頃 - 1675以降 |
略歴・解説 | ヨハネス・ライシャーはドイツの画家ヨーハン・ラウシャー(Johann RAUCHER)の息子と考えられている。最初期のデッサンは、彼がレンブラントやその弟子たち、特にヘルクレス・セーヘルス(Hercules SEGERS, c.1589/90 - 1633-38)と接触していたことを示している。ドルドレヒトとアムステルダムで制作した後、ドイツに移った。1661年までベルリンで風景画家として仕事し、1662年から75年まではザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク2世の宮廷画家を務めた。29点の風景のエッチングが彼に帰されている。その中には、セーヘルスのように、紙や布に同じ版を異なった色で刷るというテクニックを試したり、ニスを塗った作品もあった。 |