リチャード・ウィルソン

作者名欧文Richard WILSON
生没年1714 - 1782

略歴・解説

ウェールズのペネゴーズに生まれる。1729年からロンドンに出て、1750年まで肖像画家として活躍。1750年ヴェネッィア経由でローマに赴き、クロード=ジョゼフ・ヴェルネの助言に従い、風景画家に転じたといわれる。イタリアには7年間滞在し、クロード・ロラン、ガスパール・デュゲ、ヤン・フランス・ファン・ブレーメンの風景画を学ぶ一方で、ローマ内外の史跡やティヴォリの風景のスケッチを制作。古典的風景画の伝統と地誌的表現の組み合わせは、円熟期のウィルソン作品の特徴である。 1757年に帰国した後も、留学先で蓄積した風景習作に基づき、イタリア風景を描き続けた。1760年に≪ニオベの子供たちの殺害≫を第一回芸術家協会展に出品。その後、田舎の貴族の邸宅や、イングランドやウェールズの景勝地を主題として取り上げ、晩年の作品には、アルベルト・カイプをはじめとする17世紀オランダ絵画の影響が見られる。1768年にはロイヤル・アカデミーの創設会員となり、貴族たちからの注文も受けたが、1770年代中頃から経済的に困窮し、アルコール中毒にも陥った。ロイヤル・アカデミーでは司書という名目だけの職を得ていたが、1781年にウェールズの家族のもとに退き、まもなく他界。ウィルソンの作品は長い間理解されなかったが、19世紀に入って再評価され、今日ではターナーやコンスタブルの世代に大きな影響を与えた、最初の偉大なイギリス風景画家とみなされている。

1996年『静岡県立美術館コレクション選』、p. 171

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