ヨハネス・ライシャー

作者名欧文Johannes RUISCHER
生没年1625頃 - 1675以降

略歴・解説

ヨハネス・ライシャーはドイツの画家ヨーハン・ラウシャー(Johann RAUCHER)の息子と考えられている。最初期のデッサンは、彼がレンブラントやその弟子たち、特にヘルクレス・セーヘルス(Hercules SEGERS, c.1589/90 - 1633-38)と接触していたことを示している。ドルドレヒトとアムステルダムで制作した後、ドイツに移った。1661年までベルリンで風景画家として仕事し、1662年から75年まではザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク2世の宮廷画家を務めた。29点の風景のエッチングが彼に帰されている。その中には、セーヘルスのように、紙や布に同じ版を異なった色で刷るというテクニックを試したり、ニスを塗った作品もあった。

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