メダルド・ロッソ

作者名欧文Medardo ROSSO
生没年1858 - 1928

略歴・解説

1858年北イタリアのトリノに生まれる。1870年からミラノに移り、住んだ。ブレラ美術学院に入学したが、そのアカデミックな教授法に反対し、1882年にわずか1年間で放校になっている。ロンバルディア地方において展開された、反ブルジョワ的でボヘミア運動に通じるスカピグリアトゥーラ派の影響を受けたが、その代表的作家であるT.クレモナやD.ランゾーニの作品には、光の中に溶解していく立体感や人物と空気の融合など、ロッソとの共通点がみられる。また、二次元の絵画の絶対的な優位性を説いたボードレールのサロン評「なぜ彫刻は退屈であるか」(1846年)に示唆を受けて、彫刻における絵画的表現を目指し、〝視点″を固定することで絵画のもつ絶対的な明確さを獲得しようとした。対象となる人物が光の中で溶解し、空間と混然一体となる光と陰の微妙な表現は、フランス印象派との関係が指摘されており、また、ロダンの《バルザック像》の構成はロッソの影響を受けているともいわれている。ロダンとは別の面から、ロッソも写真に大きな興味を持ったが、その写真板の落下により足を負傷し、それがもとで、ミラノで没した。

1994年『ロダン館』、p. 179

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