ポール・セザンヌ

作者名欧文Paul CÉZANNE
生没年1839 - 1906

略歴・解説

エクス=アン=プロヴァンスの富裕な中産階級の家庭に生まれる。エクスの法科大学に入学するが、画家になる決意を固め、1861年パリに出る。が、美術学校の試験に失敗。アカデミー・シュイスに通い、ピサロ、モネ、ルノワールらと知り合う。初期には厚塗りの粗く強いタッチや暗い色調によって、本能的な衝動を表出。1874年第1回印象派展に参加。この頃ピサロと制作を共にしたことにより、印象派的な光と色調による作風を展開。が、第3回印象派展の出品以後印象派からも離れ、1880年代以降はパリとエクスを往復しながら孤独のうちに制作。サント・ヴィクトワール山をモティーフとした風景画、静物画、水浴図のジャンルで独自の造形的探求を続ける。1895年ヴォラール画廊での最初の個展によって前衛芸術家たちの注目を集め、1907年サロン・ドートンヌでの大回顧展以後、その名声は批評家たちの間でも高まる。エミール・ベルナールに「自然を円筒、球、円錐によって扱う」ように勧告した手紙はあまりにも有名。自然の対象を本質的形態に集約し、構築的な画面に再構成したセザンヌの作画態度は、キュビスムをはじめとする20世紀のモダニズム絵画に大きな影響を与えた。エクスにて没。

1996年『静岡県立美術館コレクション選』、p. 174

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