関根正二

よみせきねしょうじ
生年明治32年(1899)
没年大正8年(1919)

解説

白河の搦目でコバ葺き職人を営む関根政吉の次男として生まれました。
9歳のとき、父の仕事の関係で東京深川に移住し、近所の親友伊藤深水や、深水の紹介で勤めた会社などで絵画への影響を受け、また山梨県・長野県への旅行もその後の作画活動に影響を与えたとされます。
大正4年(1915)、16歳で第2回二科展に「死を思ふ日」が初入選。このとき、同展で見た安井曾太郎の作品の色彩に強く刺激され、独特な色彩感覚が目覚めたといわれます。
19歳の大正7年、神経衰弱に悩みながらも作画活動は高まりをみせ、第5回二科展に「信仰の悲しみ」「姉弟」等が入選し、新進作家に贈られる賞である樗牛賞を受賞しましたが、その後スペイン風邪と肺炎を併発し、翌年20歳の若さで亡くなりました。
関根は東京に移ってからも2度白河に帰郷し、いくつかの作品を残しています。

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