長谷部英一

よみはせべえいいち
生年明治28年(1895)
没年昭和2年(1927)

解説

洋傘問屋・貿易商を営む長谷部鉄之助の長男として生まれました。
少年期までは裕福な家庭に育ちますが、明治末年ころ父の事業が失敗し、家族は父の郷里白河に転居します。英一は東京に残り、洋画家中村彝(なかむらつね)・彫刻家中原悌二郎(なかはらていじろう)らと知り合い、多大な影響を受けています。
家族が白河に戻ってから、英一はたびたび白河を訪れ、中村彝のパトロンとしても有名な白河の豪商、伊藤隆三郎の支援を得ながら白河近郊の絵を描いています。
大正4年(1915)に「自画像」を第9回文展(文部省展覧会)に出品し、その才能が認められようという矢先に結核に冒され、昭和2年(1927)に32歳の若さで没しました。
なお近年、英一が関根正二を「友人」と記す書簡が見つかり、白河出身の洋画家2人が互いに交流していたことが明らかとなりました。

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