松平定信

よみまつだいらさだのぶ
生年宝暦8年(1758)
没年文政12年(1829)

解説

徳川御三卿の一家・田安宗武の七男として江戸城内で生まれました。
安永3年(1774)、陸奥白河藩主松平定邦の養子となり、天明3年(1783)に家督を継ぎました。天明7年(1787)から寛政5年(1793)まで幕府老中をつとめ、いわゆる寛政の改革を主導しました。老中辞任後は藩政に専念し、農村の復興や産業育成などに取り組みました。
為政者としてだけでなく、当代の文化人としても知られ、和歌や随筆などの著作、絵画や書の作品を多く残したほか、全国の古宝物を調査し、『集古十種』として刊行するなど、文化方面でも幅広い成果も残しています。白河藩においても、『白河風土記』『白河古事考』などの歴史書の編さん、白河関の跡地の推定などを行いました。また作庭家としても知られ、南湖を始めとして生涯に5つの庭園を手がけました。
文政12年5月13日、江戸において没しました。

この作者の資料一覧[全17件]

PageTop