竹久夢二書簡 竹内春子宛
| 資料番号 | 2100117 |
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| 資料名(ヨミ) | タケシタユメジショカン タケウチハルコアテ |
| 大分類 | 美術 |
| 中分類 | 書 |
| 小分類 | 書簡 |
| 作家 | 竹久 夢二 |
| 制作年代 | 1923頃 |
| 額寸法(縦) | 330.00 |
| 額寸法(横) | 900.00 |
| 解説 | ◆作品解説 長峰勇関係遺品 大正12年頃夢二がしたためた「カラ幼稚園改革」についての手紙 【封筒】 市内本郷上町一‐廿六 竹内春子様 〆七月二九日 中渋谷八五七 竹久夢二 【本紙】 酷暑の候いかゞお過し/候や。先日「カラーヨーチエン」改/革のことにつき永峰勇/氏御来訪いろ〳〵相談に/ あづかり候が、もはや五六日に/なれど力出なく○○○○/れたかに案じてゐます。/改革のことついて紙面の/体裁さしえ等につき/私の意見もあり、永峰氏/にハ伝えなき候へども、/まづご主人にもお目に/かゝりたくご返事を/まち候。 七月二十九日 ゆめ二 竹内春子様 ◆長峰勇 略歴 明治31年7月2日~昭和60年10月15日 光風会会員 生涯、人物をモティーフとした画風を貫き、清貧に甘んじた画家だった。 長峰は昭和10年から佐世保において絵画の創作活動を行い、戦後の日展に6回入選する一方、光風会にも入選を続けて昭和38年に会員になった。また、指導的立場で多くの指定を育て、長崎県美術協会で長い間理事を勤め、佐世保美術振興会結成後は洋画部委員も務めている。県展や市民展の発展に貢献し、郷土の美術振興につくした。 1906(明治31)年 大分県庄内町に生まれる 1918年 庄内町で代用教員になる。兄(長峰五月・日本画家)を頼って妻とともに上京、子どもがありながら早稲田大学に入る。雑誌社に勤め、竹下夢二らと交流をもつ。 1924(大正13)年 東京美術学校(現東京芸大美術学部)入学、岡田三郎助に師事する。 1927年 中央美術展に「青いセーターの児供」を出品し、入選 1928年 上海事変に従軍画家として出征 1935(昭和10)年 兄、五月の勧めにより一家で佐世保に転居 同年 佐世保商業学校の美術教師となる。以後、1945年まで済美高女、東和中学の美術教師を勤める。戦後、教職を辞して絵画の創作活動に専念 1950年 第6回日展に《黒衣の女》を出品し、初入選 1952年 光風会展に《赤いジャンバの少年》を出品し、入選 1964年 光風会会員になる 1986年 病没。死の直前まで第72回光風会への出品作の構想を練っていた。 兄に長峰五月。 |