佐世保港
| 資料番号 | 2100095 |
|---|---|
| 大分類 | 美術 |
| 中分類 | 絵画 |
| 小分類 | 洋画 |
| 作家 | 百田 昇 |
| 制作年代 | 昭和30年作 |
| 額寸法(縦) | 1010.00 |
| 額寸法(横) | 1270.00 |
| 解説 | 1955年(昭和30年)光風会入選作品。 佐世保の街並みを見るには、船で海からやってくるのが最適な方法だ。市民にとっては見慣れた風景だが、山の上の方にまで家が折り重なるように建っているさまは、初めて佐世保を訪れる人にとっては、おどろくべき光景にも映るらしい。また、戦後の建物も多いことから、印象が角ばって見えるのも特徴のひとつと言えるだろう。こんな佐世保の風景を百田はキュビスムの手法を用いて表現した。1950年代なかごろから、百田はピート・モンドリアンのキュビズム手法を研究している。この作品もそのころに実験的に描かれた作品。風景を描く時は、その風景が包む「空気」を描くと言っていた百田らしい佐世保の街が持つモダンな空気感をよく表現した一枚。 (作家略歴) 1921年(大正10年) 3月12日佐世保に生まれる 1941年(昭和16年) 20歳 長崎師範学校(美術専攻)を卒業 1年教職についた後、海軍に徴兵される 1945年(昭和20年) 24歳 終戦、教職に戻る 1947年(昭和22年) 26歳 旭中学校創立時に赴任、この時校章をデザインする 1950年(昭和25年) 29歳 光風会展に出品 1950年(昭和47年) 51歳 黒島中学校・校長を務める。卒業生一人一人に色紙を描き始めたのはこのころから 1974年(昭和49年) 53歳 欧州旅行 1976年(昭和51年) 55歳 直腸ガン手術 1980年(昭和56年) 60歳 このころより日本画に転向を考える 1981年(昭和57年) 61歳 西海画廊にて初の個展 1984年(昭和59年) 65歳 西海画廊にて長男・源の写真と二人展 1988年(昭和63年) 67歳 太平洋展に出品を始める。以後5回入選を果たす 1989年(昭和64年) 68歳 このころより、一度古典的なテーマに戻るも、山シリーズを 描きはじめる 1993年(平成5年) 72歳 「華山」にてオープニング個展 1995年(平成7年) 74歳 「崋山」にて北海道風景画展 1996年(平成8年) 75歳 喉頭ガンを患い手術を受け、入退院を繰り返す 1997年(平成9年) 76歳 10月28日 永眠 従五位勲五等瑞宝章を受ける |