阿蘇の地獄谷で

資料番号2100039
大分類美術
中分類絵画
作家門口 文雄
額寸法(縦)605.00
額寸法(横)680.00
解説1904年(明治37年)~1997年(平成9年)

長崎市小曾根町に誕生。銀行家であった父の赴任で1910年(明治43年)6歳 佐世保へ移り、白南風尋常小学校に転入。父がまた朝鮮に転勤になった時、すでに母を亡くしていたため、兄弟ともに祖父母に引き取られ再び2年生の時、長崎に移った。5年生の時、朝鮮の釜山で父が亡くなる。親に恵まれなかったが、祖父母の愛情は深かった。と自著に書かれている。長崎海星中学校、長崎師範二部(現・長崎大学教育学部)に進み、1924年(大正13年)20歳 卒業。小学校訓導を経て、旧制壱岐高女や、旧制佐世保中学校に赴任。以後、佐世保に定住した。海星中学校の自由な校風の下で絵に目覚め、1932年(昭和7年)28歳 専門職である文検図画工作の教師免許を取得した。戦後は公立高等学校教諭を歴任したが、1965年(昭和40年)61歳 教職を辞した。在職中「佐世保洋画会」の市山 時一郎、柳原 英思、永安ユリらとともに絵画展を開催し、それ以降、佐世保において美術活動が開始された。これは北村 徳太郎などの文化面の支援者の存在が大きかった。「創造美術会」に所属していたが、退職後は無所属。1977年(昭和52年)73歳 第30回創造美術展で会員賞を受賞。1990年(平成2年)86歳 絵やエッセイ、郷土玩具などを纏めた「対山房五十年」を発刊した。

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