漢詩(二幅)
| 資料番号 | 2100011 |
|---|---|
| 資料名(ヨミ) | ショ カンシ |
| 大分類 | 美術 |
| 中分類 | 書 |
| 小分類 | 漢字 |
| 作家 | 楠本 碩水 |
| 額寸法(縦) | 2060.00 |
| 額寸法(横) | 440.00 |
| 解説 | 楠本 碩水(くすもと せきすい) 1832年(天保3年)~1916年(大正5年) 儒学者。教育家。1832年(天保3年)平戸藩地方給人(馬廻格)楠元家の三男として、針尾島(現・佐世保市針尾)に生まれる。楠本家は長兄・端山以下四男迄(五男は幼児期に死亡)、儒学者となっている。1845年(弘化2年) 13歳 藩校維新館に入り、同校教授・佐々鵲巣の養子となる。16歳で維新館の学員となり、能力の高さを示している。17歳で一年間、日田に遊学。この間に養父・鵲巣が死亡し家督を継いだ。22歳で一年半熊本に遊学。23歳で結婚。日田、熊本遊学中に横井小楠など九州各地の高名な儒学者を訪ねて勉学につとめ、25歳で維新館助教授となる。27歳で江戸に遊学し、佐藤 一斎、大橋 訥菴の門下生となり、一年半の遊学期間中に著名な儒学者、思想家と交流し尊王攘夷論を深めていった。1868年(明治元年)36歳、国論を審議する貢士に選ばれて京都に滞在し三條公、岩倉具視など尊王派公家等と交流している。1869年(明治2年)37歳 楠本姓に復し、1870年(明治3年)38歳 京都から平戸に戻り藩の役職および家禄すべてを辞退、郷里・針尾に帰郷。私塾「江西書院」を開設、教育と農事に従事した。1882年(明治15年)50歳 平戸から帰郷した兄・端山と共に、針尾に私塾「鳳鳴書院」を開設、知徳豊かな人材育成に努め、1896年(明治29年)64歳 に閉鎖するまでに450名余が学んだ。 |