漢詩「春興」
| 資料番号 | 2100010 |
|---|---|
| 資料名(ヨミ) | カンシ「シュンキョウ」 |
| 大分類 | 美術 |
| 中分類 | 書 |
| 小分類 | 漢字 |
| 作家 | 楠本 端山 |
| 額寸法(縦) | 2050.00 |
| 額寸法(横) | 470.00 |
| 解説 | 楠本端山(くすもと たんざん) 1828年(文政11年)~1883年(明治16年) 儒学者。平戸藩地方給人(馬廻格)楠本家の長男として、針尾島(現・佐世保市針尾)に生まれる。1842年(天保12年)14歳~1846年(弘化3年)18歳 藩校維新館で学び藩役人となった。1846年(嘉永元年)18歳 九州を漫遊。儒学者・廣瀬 淡窓など高名な学者から教えを受けた。1851年(嘉永4年)23歳 江戸の儒学者・佐藤 一斎門下生となり、攘夷論について学ぶとともに、多くの知識人と交流した。1853年(嘉永6年)25歳 平戸に帰り、維新館教官補となるが、教育内容をめぐり教官と対立し帰郷した。12代藩主・主詮の信頼は厚く、針尾に帰郷後も事あるごとに意見を求められ、丁寧に対応した。1862年(文久2年)34歳 詮の懇請で近習に、翌年助教授兼侍講となり、尊王攘夷を教授、藩諭を尊王へと導いた。1870年(明治3年)42歳 詮による明治天皇への進講が高く評価され、詮に教授した端山の名声が高まった。封建制を主張、1871年(明治4年)43歳 の廃藩置県後を憂慮し、政府の要人へ政治改革について建言した。1873年(明治6年)45歳 平戸県が長崎県に併合、平戸出張所勤務となる。1881年(明治14年)53歳 辞職し針尾に帰郷した。1882年(明治15年)54歳 弟・碩水とともに私塾「鳳鳴書院」を開き、教育に当たったが(明治16年)55歳で病死した。楠本端山旧宅および墓地群は長崎県文化財に指定されている。 |