日本の影響

大分類4章 おたのしみとおもてなし
中分類茶(記録の中の茶)
解説琉球の喫茶文化には中国とともに日本からの影響があることが知られています。とくに京都五山系の禅宗(臨済宗)の僧侶がその主な担い手であったようです。14世紀後半、日本や琉球が福建省・茶洋窯の天目茶碗を盛んに輸入していた頃に禅宗(臨済宗)文化が琉球に入っていたかは不明です。が、15世紀後半の尚泰久王時代以降、琉球では首里三カ寺以下、五山系の禅宗が隆盛を極めています。天目茶碗や禅宗の茶礼を中心に琉球の茶の湯文化は深化を遂げたと言えます。
また1719年に来琉した冊封副使・徐葆光による『中山伝信録』『琉球全図』の記述・図版などにより、徐葆光らは京焼の草花の模様の茶碗で茶をもてなされたことが判明しています。やや時代が下るものの、19世紀の制作とみられる壺屋焼の『赤絵枝梅竹文碗』(沖縄県立博物館・美術館蔵)などはそのような京焼の流れを汲む茶碗の一つとも考えられています。

関連資料の表示

PageTop