雪舟 等楊

作家情報名(ヨミ)せっしゅう とうよう
作家情報名(英語)SESSHU Toyo
国籍日本
生年月日(西暦)1420/**/**
生年月日(和暦)応永27年
没年月日(西暦)1506/**/**
没年月日(和暦)永正3年

略歴・解説

 道号は雪舟、法諱は等楊。備中赤浜(総社市)生まれ。臨済宗東福寺派の井山宝福寺で修行したのちに上京し、東福寺に入ったと推測されている。のちに相国寺において画を天章周文に学んだ。享徳3年(1454・雪舟35歳)頃に京都から周防(山口県)に移り、大内氏の庇護下において画房・雲谷庵を営んだ。音通する「拙宗等揚」と同一人物とする説が有力で、38歳頃に拙宗から雪舟へと改号したと思われる。応仁元(1467)年には遣明船で入明し、宮廷画家の李在に画法を学んだほか、文人らとも交流した。足掛け3年の滞明ののち、文明元(1469)年帰国し、大分で画房・天開図画楼を中心に活動を行っていたが、文明16(1484)年以前には山口へ戻り、以後同地を活動拠点として作品制作に励んだ。雪舟は多くの弟子を指導したが、やがて後世においてもその画系に自身を連ねる画家が出現するほどに慕われ、学ばれていく。

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