オーギュスト・ロダン

作者名(ヨミ)おーぎゅすと・ろだん
作者名(英語)Auguste RODIN
生年(西暦)1840
没年(西暦)1917

略歴・解説

パリで警視庁吏員の子として生まれる。はじめプチデコール(のちの装飾美術学校)で学び、彫刻家を志す。エコール・デ・ボザールの入学試験に3度失敗して断念。1864年より、建築装飾彫刻家カリエ=ベルーズのアトリエで働く。この頃、《鼻のつぶれた男》がサロンに落選。1875年イタリアを旅行し、ミケランジェロの作品に深い感銘を受ける。翌年、ブリュッセルとパリのサロンに《青銅時代》(石膏)を出品。1880年のサロンではブロンズの《青銅時代》が政府買い上げとなり、同年、政府より装飾美術館の門扉の制作依頼を受ける。以降、制作の大半はこの未完に終わった大作《地獄の門》の構想に費やされることになった。肖像や記念像の制作にも精魂を傾けるようになり、《カレーの市民》(1884~86)、《バルザック》(1891~97)などは、伝統と隔絶した力強く独創的な様式を示し激しい論争を呼んだ。1900年のパリ万国博覧会で世界的な名声を確立。1903年にレジオン・ドヌール勲章受章。多くの文化人と交わり、欧州各地で公演や展覧会を開催するなど恵まれた晩年を送った。パリとムードンの自邸と全作品は政府に遺贈され、現在「ロダン美術館」(1919年開館)として公開されている。

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