検索トップ 作者一覧から探す作者データ&資料一覧 高村 光太郎 作者名(ヨミ)たかむら こうたろう 作者名(英語)TAKAMURA Kotaro 生年(西暦)1883 没年(西暦)1956 略歴・解説 1883(明治16)年東京下谷に生まれる。父は仏師・木彫家の高村光雲。1902年、東京美術学校彫刻科を卒業し、続いて西洋画科でも学ぶ。1906年からニューヨーク、ロンドン、パリに遊学し、ロダンの彫刻から強い影響を受ける。1909年帰国し、翌年「緑色(りょくしょく)の太陽」を雑誌『スバル』に発表。1912年には岸田劉生や萬鉄五郎らとともにヒュウザン会(のちフュウザン会)を設立する。1915(大正4)年、詩集『道程』を発表。同年長沼智恵子と結婚。この頃からブロンズ彫刻を盛んに制作する。1924年頃からは《鯰》など木彫の小品も制作している。智恵子の逝去から3年後の1941年、詩集『智恵子抄』発表。第二次世界大戦中には戦争協力詩・愛国詩を発表し、戦後、自省の念から岩手県花巻郊外の山小屋で独居自炊の厳しい生活を送った。1952年、青森県より「十和田国立公園功労者顕彰記念碑」のための彫像制作依頼を受けた光太郎は、山小屋を離れ、東京の友人のアトリエで制作に取りかかった。翌年、「十和田湖畔裸婦像」が完成。現在《乙女の像》として人々に親しまれている一対の裸婦像である。 この作者の資料一覧[全1件] 並べ替え 公開名称 昇順 公開名称 降順 タイトル(よみ) 昇順 タイトル(よみ) 降順 タイトル(英語) 昇順 タイトル(英語) 降順 作者 昇順 作者 降順 制作年 昇順 制作年 降順 サイズ 昇順 サイズ 降順 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 十和田湖畔裸婦像のための手 タイトル(よみ):とわだこはんらふぞうのためのて タイトル(英語):Hand for the Nude Statues at Lake Towada 作者:高村 光太郎 制作年:不詳 サイズ:H40.7cm 【 凡 例 】 本データベースは、公益財団法人似鳥文化財団が運営する小樽芸術村の収蔵作品の一部を公開するものです。 公開データは随時拡充いたします。 ■データについて 作品サイズは[H=高さ(縦)×W=幅(横)×D=奥行き]の順に記載する。 ■作品解説の執筆者について 末尾にイニシャルが記されていない解説文は、当館学芸員が執筆した。 末尾にイニシャルが記されている解説文の執筆者は、以下の通りである。 新明英仁(H.S)、苫名真(M.T)、志田政人(M.S)、蝦名未来(M.E) ■利用について 本データベース上のテキスト及び画像の無断転用・転載・加工等の行為を固く禁ずる。 ©Copyright The Nitori Culture Foundation.All rights reserved. PageTop
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