丸木俊

人物名(ヨミ)マルキトシ
人物名(英語)MARUKI,Toshi

略歴・解説

北海道に生まれる。旧姓、赤松(俊子)。北海道庁立旭川高等女学校卒業後、女子美術専門学校師範科西洋画部に入学。1933年、同学校を卒業し、千葉県市川市市川尋常高等小学校の教員を務めながら二科会に出品する。1937年、教員を辞め、外交官一家の家庭教師としてモスクワに滞在。帰国後の1939年、第二十六回二科展に初入選。1941年、丸木位里と結婚。1945年、位里の故郷・広島に原爆が投下され、その直後から夫婦で広島に滞在。1947年より、夫婦で〈原爆の図〉の連作に取り掛かる(1982年までに全十五部作が完成)。1950年、原爆の図展として全国を巡回し、大きな反響を呼ぶ。1953年、位里と共に国際平和文化賞受賞。同年より、世界巡回展も開始。1967年、埼玉県に原爆の図丸木俊美術館が開館。平和を訴えた絵画の他に、絵本『ひろしまのピカ』、『いのちの花』などの著書も多数。享年88歳。

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