検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 名所・旧跡・伝承 > 地名など > 道選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:名所・旧跡・伝承 > 地名など > 道]で7件ヒットしました。 1件目~7件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 高地蔵(下町) 資料名:高地蔵(下町) 資料名(よみ):たかじぞう(しもまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 鎌倉道 資料名:鎌倉道 資料名(よみ):かまくらみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:鎌倉時代は、幕府の地方支配の根幹に国衙が重要な役割を果たしており、関東各地の国衙と鎌倉を結ぶ街道が発展しました。武蔵国の国衙は現在の東京都府中市にあり、交通の中心地となったため、府中と武蔵国の各地を結ぶ街道も発展します。鎌倉街道は大きく上道・中道・下道に分けることができ、信濃や越後、陸奥へと続く主要な交通路でした。新座市内には、その上道と中道を結ぶ「羽根倉道」と称する連絡路が通っていたと考えられています。羽根倉道は、上道の久米川宿から分かれ、柳瀬川沿いを進み、普光明寺の横を抜け、志木市の羽根倉で渡り、大宮を経て、加須市で中道に合流していました。一方、江戸時代以前から存在する古い道の総称として「鎌倉道」と呼ばれることがあります。 川越街道 資料名:川越街道 資料名(よみ):かわごえかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:江戸と川越を結んでおり、街道沿いには宿場町がありました。江戸を出て、板橋-上板橋-下練馬-白子(和光)-膝折(朝霞)-大和田-大井町(ふじみ野)-川越に至ります。川越街道は、徒歩や馬で通行するための道路であり、物資の輸送は新河岸川の舟運の役割でした。明治7年(1880)には、地元住民からの要望によって、川越街道の改修がなされており、当時も主要道であったとうかがえます。明治21年(1894)の「新座地域公益道運輸交通調」によると、駄馬・荷車・人力車といった輸送用車両の利用者が旅人よりも少なく、新河岸川の舟運が機能していたと推測できます。明治22年(1895)頃、東京-川越間に乗合馬車が開通し、万世橋を出発して野火止まで22銭、大和田まで24銭で、川越までは40銭でした。 高地蔵(上町) 資料名:高地蔵(上町) 資料名(よみ):たかじぞう(かみまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 志木街道 資料名:志木街道 資料名(よみ):しきかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:志木街道と呼ばれる道は、新河岸川の引又の河岸場から舟運を利用するため、農作物の運搬等に利用されました。古くは奥州街道とも呼ばれ、東北へも通じています。台地を貫く道であるため、目的地まで真っ直ぐに最短距離でつながっています。 清戸道 資料名:清戸道 資料名(よみ):きよとみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:現在の東京・江戸川橋から清瀬市の清戸につながる道を指し、江戸時代の村絵図にもこの名が見られます。清戸には尾張家の鷹狩の場所や御殿があったことから、そこへ向かう道を「清戸道」と呼ぶようになったと考えられています。また、清戸道は川越街道のような特定の道を指すのではなく、複数の道筋がありました。新座を抜けて清戸と江戸を結ぶこの道は、昔から地域の人々にとって農産物を江戸へ運ぶ重要な道でもありました。清戸道沿いにある石造物には、道案内として「清戸道」等と彫られたものがあります。 御成橋 資料名:御成橋 資料名(よみ):おなりばし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:現在の東京・江戸川橋から清瀬市の清戸につながる清戸道は、尾張藩が鷹狩りを行う際に通った道です。江戸屋敷(新宿)から清戸道を通り、新座市内を通過して、「清戸御殿」に向かいました。この御殿跡は、清瀬御殿山緑地保全地域とされています。また、尾張家一行が野火止用水を通過する時に渡った橋が「御成橋」の由来であると言われています。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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高地蔵(下町) 資料名:高地蔵(下町) 資料名(よみ):たかじぞう(しもまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 鎌倉道 資料名:鎌倉道 資料名(よみ):かまくらみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:鎌倉時代は、幕府の地方支配の根幹に国衙が重要な役割を果たしており、関東各地の国衙と鎌倉を結ぶ街道が発展しました。武蔵国の国衙は現在の東京都府中市にあり、交通の中心地となったため、府中と武蔵国の各地を結ぶ街道も発展します。鎌倉街道は大きく上道・中道・下道に分けることができ、信濃や越後、陸奥へと続く主要な交通路でした。新座市内には、その上道と中道を結ぶ「羽根倉道」と称する連絡路が通っていたと考えられています。羽根倉道は、上道の久米川宿から分かれ、柳瀬川沿いを進み、普光明寺の横を抜け、志木市の羽根倉で渡り、大宮を経て、加須市で中道に合流していました。一方、江戸時代以前から存在する古い道の総称として「鎌倉道」と呼ばれることがあります。 川越街道 資料名:川越街道 資料名(よみ):かわごえかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:江戸と川越を結んでおり、街道沿いには宿場町がありました。江戸を出て、板橋-上板橋-下練馬-白子(和光)-膝折(朝霞)-大和田-大井町(ふじみ野)-川越に至ります。川越街道は、徒歩や馬で通行するための道路であり、物資の輸送は新河岸川の舟運の役割でした。明治7年(1880)には、地元住民からの要望によって、川越街道の改修がなされており、当時も主要道であったとうかがえます。明治21年(1894)の「新座地域公益道運輸交通調」によると、駄馬・荷車・人力車といった輸送用車両の利用者が旅人よりも少なく、新河岸川の舟運が機能していたと推測できます。明治22年(1895)頃、東京-川越間に乗合馬車が開通し、万世橋を出発して野火止まで22銭、大和田まで24銭で、川越までは40銭でした。 高地蔵(上町) 資料名:高地蔵(上町) 資料名(よみ):たかじぞう(かみまち) 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:(向善寺)観音堂前と下の寮(岾上の墓地)に、享保年間に造られた地蔵菩薩が一体ずつあります。観音堂前のものは元は柳瀬川の近くに、下の寮のものは旧川越街道沿いにあり、それぞれが大和田宿の境界を示していましたが、道路拡張等によって移設されました。 志木街道 資料名:志木街道 資料名(よみ):しきかいどう 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:志木街道と呼ばれる道は、新河岸川の引又の河岸場から舟運を利用するため、農作物の運搬等に利用されました。古くは奥州街道とも呼ばれ、東北へも通じています。台地を貫く道であるため、目的地まで真っ直ぐに最短距離でつながっています。 清戸道 資料名:清戸道 資料名(よみ):きよとみち 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:現在の東京・江戸川橋から清瀬市の清戸につながる道を指し、江戸時代の村絵図にもこの名が見られます。清戸には尾張家の鷹狩の場所や御殿があったことから、そこへ向かう道を「清戸道」と呼ぶようになったと考えられています。また、清戸道は川越街道のような特定の道を指すのではなく、複数の道筋がありました。新座を抜けて清戸と江戸を結ぶこの道は、昔から地域の人々にとって農産物を江戸へ運ぶ重要な道でもありました。清戸道沿いにある石造物には、道案内として「清戸道」等と彫られたものがあります。 御成橋 資料名:御成橋 資料名(よみ):おなりばし 大分類:名所・旧跡・伝承 中分類:地名など 小分類:道 解説:現在の東京・江戸川橋から清瀬市の清戸につながる清戸道は、尾張藩が鷹狩りを行う際に通った道です。江戸屋敷(新宿)から清戸道を通り、新座市内を通過して、「清戸御殿」に向かいました。この御殿跡は、清瀬御殿山緑地保全地域とされています。また、尾張家一行が野火止用水を通過する時に渡った橋が「御成橋」の由来であると言われています。