検索トップ 検索結果一覧 キーワード 全ての語を含む いずれかの語を含む 分類 金石文 > 中世選択... その他の検索条件その他の検索条件 資料名 資料名(よみ) 解説 画像有のみを表示 再検索 リセット 検索条件[分類:金石文 > 中世]で2件ヒットしました。 1件目~2件目を表示しています。 並べ替え 並べ替え ★資料名 昇順 ★資料名 降順 資料名 昇順 資料名 降順 資料名(よみ) 昇順 資料名(よみ) 降順 大分類 昇順 大分類 降順 中分類 昇順 中分類 降順 小分類 昇順 小分類 降順 ★時代・時期 昇順 ★時代・時期 降順 解説 昇順 解説 降順 表示件数 5 10 20 50 100 件ずつ表示 文字画像一覧 画像一覧 文字一覧 石造地蔵菩薩坐像 資料名:石造地蔵菩薩坐像 資料名(よみ):せきぞうじぞうぼさつざぞう 大分類:金石文 中分類:中世 小分類:その他 ★時代・時期:中世 解説:稲荷会館に安置されている石造の地蔵菩薩は、文安3年(1446)に造立された市内最古の石仏です。石材は砂岩で、光背は円頂形、像高45cm、幅30cmです。銘文から室町時代には月待信仰の対象にされていたことが分かる月待地蔵(月待塔)です。月待信仰は二十三夜、十五夜に月が出るのを待ち、拝む民間信仰の一つで、奈良時代の万葉集にも歌が詠まれています。この像は、小型で彫りも簡素なものですが、形態・像容等から中世後期頃の作と推定されています。昭和57年(1982)3月4日、新座市有形民俗文化財に指定。 元亀元年銘芝山政勝墓石 資料名:元亀元年銘芝山政勝墓石 資料名(よみ):げんきがんねんめいしばやままさかつぼせき 大分類:金石文 中分類:中世 小分類:その他 ★時代・時期:近世 解説:江戸時代前期に大和田を知行していた旗本・芝山氏は、菩堤寺として向善寺を建てましたが、断絶後、墓は普光明寺に移されました。墓は箱型石塔で、二代将軍・徳川秀忠に仕えた地頭・芝山小兵衛正員の父、芝山彦十郎政勝の墓石ですが、石質から見ても江戸時代中期以降の作です。『新編武蔵風土記稿』によると、芝山彦十郎政勝の墓石は同じ大和田内で、川越街道の北側に位置した向善寺の境内にあり、「(前略)コノ墓石ハ子孫ニ至リテ菩提ノ為ニ造立セシモノニテイトアタラシキモノナリ」とされています。 新座市文化財データベースは、埼玉県にあるれきしてらす(新座市立歴史民俗資料館 が運営・管理しています。 れきしてらすの開館日やアクセス方法、展示・イベント等の情報については、新座市公式ホームページをご覧ください。 「新座市文化財データベース」の利便性向上のため、アンケートへのご協力をお願いいたします。 資料に関するお問い合わせは、新座市公式ホームページのお問い合わせフォームからお願いします。特定の資料についてお問い合わせいただく場合は、その資料のIDや番号、または該当ページのURLなどを転記してください。 スマートフォン向けアプリ「にっぽん風景なび」・「ポケット学芸員」でも情報を公開しておりますので、併せてご利用ください。アプリの利用料は無料ですが、別途、通信費が必要となります。 「ウェブサイト版にっぽん風景なび」も併せてご利用ください。掲載内容はアプリ版と同じです。 PageTop
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石造地蔵菩薩坐像 資料名:石造地蔵菩薩坐像 資料名(よみ):せきぞうじぞうぼさつざぞう 大分類:金石文 中分類:中世 小分類:その他 ★時代・時期:中世 解説:稲荷会館に安置されている石造の地蔵菩薩は、文安3年(1446)に造立された市内最古の石仏です。石材は砂岩で、光背は円頂形、像高45cm、幅30cmです。銘文から室町時代には月待信仰の対象にされていたことが分かる月待地蔵(月待塔)です。月待信仰は二十三夜、十五夜に月が出るのを待ち、拝む民間信仰の一つで、奈良時代の万葉集にも歌が詠まれています。この像は、小型で彫りも簡素なものですが、形態・像容等から中世後期頃の作と推定されています。昭和57年(1982)3月4日、新座市有形民俗文化財に指定。 元亀元年銘芝山政勝墓石 資料名:元亀元年銘芝山政勝墓石 資料名(よみ):げんきがんねんめいしばやままさかつぼせき 大分類:金石文 中分類:中世 小分類:その他 ★時代・時期:近世 解説:江戸時代前期に大和田を知行していた旗本・芝山氏は、菩堤寺として向善寺を建てましたが、断絶後、墓は普光明寺に移されました。墓は箱型石塔で、二代将軍・徳川秀忠に仕えた地頭・芝山小兵衛正員の父、芝山彦十郎政勝の墓石ですが、石質から見ても江戸時代中期以降の作です。『新編武蔵風土記稿』によると、芝山彦十郎政勝の墓石は同じ大和田内で、川越街道の北側に位置した向善寺の境内にあり、「(前略)コノ墓石ハ子孫ニ至リテ菩提ノ為ニ造立セシモノニテイトアタラシキモノナリ」とされています。