略歴・解説
寛政4年(1792)、二代目茂木七郎右衛門の嫡男廣右衛門として生まれる。文政4年(1821)、木白蔵とキハク印を譲り受けて分家し、茂木房五郎家を興す。しかし、同年12月に野田町大火が発生し、本家である茂木七郎右衛門家では12ヶ所の蔵が類焼し、三代目当主と義弟を含む10人の死者を出す惨事となった。そこで、房五郎は譲り受けた蔵とキハク印を返上し、4代目当主を助けて本家の復興に尽力した。また、天保の大飢饉の際には、茂木七左衞門家、茂木七郎右衛門家、茂木佐平治家に呼びかけ、飢えた民衆の救済を持ちかけた。そして、食物を施し、病人を介抱するための小屋を建てるなど、寝る間を惜しんで救済に励んだ。このとき、尽く私財を投げ打った房五郎が、救済のために夫人が生母の形見として持参していたサンゴのかんざしを売却するか、それが承知できないのであれば離縁するかを迫ったという逸話が残されている。こうした房五郎の人柄が人々に親しまれたことから、後に愛宕神社本殿東裏の祠に木白祭神として祀られ、その脇に「木白神霊碑」が建立された。