坂東家橘の白井権八(東京府)

法量(幅)㎜504
法量(高さ)㎜358
公開解説 白井権八のモデルとなった平井権八は鳥取藩士であったが、人殺しをして江戸へ逃げ、遊女・小紫と深い仲になる。悪事を重ねた権八は、延宝3年(1675)に鈴ヶ森(現・東京都品川区)で処刑されたといわれている。この物語は、実録・読本となって広まり、江戸の人々の間では有名であった。侠客・幡随院長兵衛の逸話などと絡めて歌舞伎化され、文政6年(1823)の「浮世柄比翼稲妻」(四代鶴屋南北作)は、名題を変えてたびたび上演された。明治6年(1873)に村山座で上演された「尾花比翼碑」では、坂東家橘が白井権八を演じている。
 賞金目当てに襲い掛かってくる者たちを、見事な立ち廻りで切り捨てる権八に、幡随院長兵衛が「お若えの、お待ちなせえやし」と声をかける場面が有名。押絵になっているのは、小紫からの恋文を読む場面だろうか。前髪立ちの美少年だったという権八が、紫の着流しに赤の襦袢という派手な扮装で描かれており、生意気な若衆の雰囲気がよく表れている。

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