絵はがき 野田町愛趣園及延命館

法量(幅)㎜140
法量(高さ)㎜90
和暦明治36年
西暦1903
主な材質
解説野田上町・愛宕神社の裏手(現在の西光院の敷地)にあった愛趣園の絵はがき。愛趣園は、明治35年(1902)に発生した飢饉に対し、醤油醸造家の初代茂木啓三郎(屋号・誉家)をはじめとする慈善団体至徳会が、救済を求める人々に公益に資する仕事を与え、その対価で人々を救済することを目的に建設された。当時衆楽園(現・清水公園)と並ぶ私設公園として、町民に親しまれていた。園内には藤棚もあり、憩いの名所として、こうした絵はがきも作られていた。

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