川間村図

法量(幅)㎜1041
法量(高さ)㎜840
材質
文書群名中里・染谷静男家文書
公開解説染谷家が所有していた川間村(現・野田市)の地図。川間村は、明治22年(1889)に中里村、尾崎村、東金野井村、船形村が合併して東葛飾郡に誕生した。小山、長谷、筵打はかつては茨城県に属していたが、明治32年に千葉県に編入され、川間村の一部になった。利根川沿いに水田、江戸川沿いに畑地が多く分布し、村の南部と北部は山林が広がっており、林業も行われていた。農産物としては、米、麦、大豆などの穀物が主体ですが、大正時代に入ると副産物としてタバコ、野菜、苗木の栽培も行われるようになった。流通の中心としては、日光東往還の宿場が中里に置かれ、ここが川間村成立以降の中心地とされた。また、利根川に面した小山や、江戸川に面した東金野井や尾崎には、渡船場があった。江戸川、利根川に挟まれた立地は度重なる水害に襲われることとなり、小山は地区全体が堤防で囲まれていた。

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