「南陽市役所駅」

資料ID5513
作者菊地隆知
制作年1997
額寸法(縦)327.00
額寸法(横)265.00
単位mm
公開解説昭和十八年七月に赤湯・長井間に山交定期バスが運行された。(年表・写真で見る南陽市史)好天に恵まれた病院の帰りに取材と決めてバス停の前で足を止める。数分後赤湯行きが来る。運転席のごく近くに座る。発車前にドライバーに「今日はどごさござやる」ときかれ「駅見に」「バスさ乗ってがっす」と言われる。運転者の名前を見たら「寿司」とある。ひるにちかい時間である。
近頃このバスに縁がない。南陽市役所の所で降りる。役所の西側で広い場所でその辺りを見渡せる処、市役所の本当の門前である。役所の前を建物全部眺めるように東側まで歩く。フラワー長井線の「南陽市役所駅」に立つ。十段のぼれば、ホームの真中に小さな待合室がある。駅の東側は田圃が広がっている。折よくその中を下りの山形新幹線「つばさ」が滑るように走っていく。直ぐ消えた。未だ時速百三十キロは出ていないのに。
この小さな駅は、芳文の駅シリーズの初めの頃は影も形もなかった。昭和五十八年六月号の赤湯駅、次は七月宮内町駅で当時は国鉄であった。早いものであれから十余年になる。新しい南陽市が誕生したのは、昭和四十二年四月一日、赤湯町、宮内町、和郷村が合併し当時の山形県知事安孫子藤吉が名付け親であった。今のこの立派な市庁舎で業務開始されたのは、昭和五十七年四月一日。ここの所在地は「南陽市三間通四三六―一」赤湯駅から一キロ(徒歩十二分)と云うが、フラワー長井線では赤湯の次、「南陽市役所駅」である。私は今回初めてこの辺りを歩き約一時間おった。
この小さな駅に入ると椅子が横に並んでいる。その七つの椅子のはばが、この建物の、駅の大きさでもある。青い椅子に赤い色のおとなしい模様がついたうすい座布団に紐がつけられている。座れば園児になったような感じでもある。この可愛い座布団は宮内の女性の御好意であるとの説明もついてある。
陽かげにいくらか雪が見られた。市役所の前の広い場所の雪囲いは見事に見えた。縄でいちいちゆわいてあった。きれいに見える雪囲いのリズムにのせられてこのまちに住んでいる方々の、その在り方までその一面なりとのぞかせて頂いたようないい感じを味わった。
「芸文よくや」を読ませて頂き「混沌の時代に文化を興る」の座談、「丹泉八勝」それこそ「煌めいて」おられる方々の作品、これを編集なされた方に敬意を含め、長い続刊を願いたい。
バスの運転手とは縁あり翌日山形往復に会いお名前を「ひさし」さんと確かめた。
【芳文211号】
公開解説引用【芳文211号】

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