「赤湯駅」

資料ID5493
作者菊地隆知
制作年1995
額寸法(縦)410.00
額寸法(横)310.00
単位mm
公開解説以前駅のホームに「駅名の由来」があった。(昔、赤湯は赤井ともいいました。地名の由来はいろいろあります。アイヌ語の「アッカユ」(熱泉の意)から来たという説。泉の水が赤土色に染まり、下流の茅や、葦が赤い衣をかぶったようになったことから赤井と呼ばれた)と。
赤湯の街は「開湯九百年」と云う。古くから羽州街道の宿場町として栄えてきた温泉郷である。私は何故か通り過ぎるだけで二回程泊まっただけで格別なご利益まであずかっていない。
もう一つの伝説は(寛治七年(一〇九三)奥州統一を夢みた源義家の弟陸奥守源義綱が出羽の平師妙の乱平定の際、草刈八幡のお告げにより発見し、傷ついた兵士を湯に入れたところ、たちまち傷が治って、温泉は傷から出た血で深紅に染まった…)と。
その後、殿様の御殿湯になったと云う。伊達藩、上杉藩の御殿湯として重宝されたと。名君上杉鷹山がその詩画を書かせたものが残っている。赤湯「丹泉」八勝詩画。寛政十一年目賀田雲川筆(上杉神社蔵)は南陽市と市観光協会のパンフにカラーで印刷されてある。
観光の拠点として、吾妻、飯豊、朝日連峰の広大なる自然に囲まれた米沢盆地の北端に位置する県南随一の温泉地。山形周遊の拠点として最適。二十五軒の旅館が軒を並べ、街と混在した外にない情緒を感じさせる。各旅館それぞれの趣向をこらしたお風呂が人気とある。その温泉は、含硫黄塩化物泉、温度は六四度、効能は、神経痛、リュウマチ、糖尿病、皮膚病、美肌効果がある。そして美人になる湯として知られるということである。
駅の天井に飾られているハング・パラグライダーは鳥上坂の今昔物語につながる。昔から鳥たちが上昇気流に乗って遊んだというところで、現在はこの翼をもった鳥人たちのいわば天国という所になっている。大空を自由に飛びたい鳥人間、その注目の的である。
十分(じゅうぶ)一山(いちやま)にある有数のハング・グライダーの基地。白竜湖から吹き上げるサマール(上昇気流)は、それこそもってこいのものであるという。鳥人間でなくても眼下に広がるぶどう棚、水田、湖と爽快な気分が感じられる。本格的な基地が昭和五十五年に開設され現在春に行われるレディース大会が高いレベルになり外人女性の参加も多い。国際色豊かな様はよくテレビで拝見する。南陽市の空には、ロマンが一杯、夢一杯といわれるようである。
【芳文191号】
公開解説引用【芳文191号】

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