長井線駅シリーズ 荒砥駅

資料ID5313
作者菊地隆知
制作年1984
公開解説「あんだ」「あんだだ」と話す連中とはじめて出会った時を思い出せば、もう四十余年も昔だ。この「荒砥駅」から旧長井中学校まで通学しておったなつかしい顔々々が浮かぶ。彼等は列車の中にどんな思い出を残していたのだろう。
プラットホームに立って眺める西山連山は仲々。今年は随分長く雪を残して見せてくれた。だからというわけではないが雪を載せた屋根を表紙に使ったのは、おさまりがよかっただけのこと。
長井線終点のこの「荒砥駅」は白鷹町の中心地としての表玄関にあたる。駅前には様々な看板が立てられている。「白鷹町内から あなたの買物で町発展を」「ラブ白鷹 白鷹町飛躍の核に 若者の手を!」等。一つだけタテに細長く立たれているのには
「内陸に光を……内陸循環線〈荒砥―左沢〉で」
「上野から荒砥へ直通の特急を」‥‥の所は赤字で書かれている。町民一丸となっての悲願がわかろう。左荒線の実現はそれこそ看板だけに終わらせたくない。長井線沿線住民の願いでもある。
先頃、第四回「長井線まつり」が長井線車内と長井駅前広場で行なわれた。「先人が苦労して建設した長井線をみんなの力で守り、内陸循環線の建設につないでゆかなければならない」と存続期成同盟会長である齋藤市長のあいさつを五月の市報でも拝見する。
「白鷹つむぎ」の産地として又楽しい「アユ祭り」ばかりでなく、白鷹町は「素朴な自然と古い伝統の中に生まれたふるさと」とわかる歴史、文化と出会う事の多い所である。「化粧を知らない村娘の素顔のように素朴であたたかい」と詩人真壁仁氏が絶賛した深山紙の里には重要文化財深山観音堂があり、昨今紙と焼物等も一緒にした芸術村が出来る話も聞く。
「…かつて僕等の夢と青春を乗せて走り、今なお多くの通勤・通学をする人達の欠かせない足になっている長井線。なくなってしまったら困るのだ。」と(今日もあの娘は長井線)の作詞作曲をした横沢芳一さんがその「歌をうたうわけ」を書いている。そのレコードを何回も何回もかけながらこのマスを埋めた。
【芳文57号】
公開解説引用【芳文57号】

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