長井線駅シリーズ 鮎貝駅

資料ID5312
作者菊地隆知
制作年1984
公開解説鮎貝駅」にある「川柳」の額には、昭和二十五年十二月三日企小桜吟社・蚕桑交柳社。後援、鮎貝村役場・蚕桑村役場とある。題は「朝」「日」大谷五花村選。
ざっと百句、なつかしい名前と句を少しおかりした。
貧しくも朝だけ揃ふ膳の数    吉ん坊
素晴らしいプランへ日本晴れの朝 天 遊
張り替えし障子に朝の湯が沸(たぎ)り  是空子
人柄はがらり昨夜と別の朝    覚恋坊
味噌汁の湯気倖(しあわせ)な朝にする   白 陽
日記帳天気だけ書くいそがしさ  横 京
こんな日が三日も欲しい湯の煙り 覚恋坊
日本晴故郷の秋の美しさ     逍 窓
重税に正直だった日を悔ゆる   蓮 台
糞度胸明日も日の照る事に決め  孝 斎
日本の母を嘲(あざけ)ける避妊薬     柳狂子
迷信とばかり笑えぬ日に出遭い  酔 雨
脱こくの日和へ尻の長い客    河帆流
又今日も俺をさいなむ朝があけ   酔 雨
もっと偉くなる筈だった古日記   横 京

それこそ、私の古日記の様な時間はここで昭和三十六年に戻される。「川柳やまがた」二月号に「本誌編集主幹小松酔雨氏は…一月二十三日…永眠されました。…御冥福をお祈り致します」とあり、「酒千句」の最後の数句が載る。
酒千句成らない悔いが増すばかり  酔 雨
酒千句三百残してぶっ倒れ     酔 雨
編集も一〇九号で歩が止まり    酔 雨
欲ばった願ひに神はそっぽ向き   酔 雨

大吹雪の朝、長井から鮎貝駅までそして山口の自宅での葬式に出る。其の後間もなく私もぶっ倒れ二月末福島に入院、手術となるがそれはともかく、後日(三月八日付Y紙)「置賜柳檀あれこれ」を山口に一緒した覚恋坊氏が書いた。其の頃私は通巻百十号迄五十余枚「川柳やまがた」の表紙を担当していた。酔雨氏に頼まれた所は、逍窓氏が校長をしていた長井小学校であった事も思い出せばぐっと時間は近くなる感じ。逝かれた柳人と酔雨氏のマント姿などを思い出し只々御冥福を祈るばかりである。
来る明日を信じて枕引き寄せる  酔 雨
【芳文56号】
公開解説引用【芳文56号】

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