長井線駅シリーズ 羽前成田駅
| 資料ID | 5310 |
|---|---|
| 作者 | 菊地隆知 |
| 制作年 | 1984 |
| 公開解説 | 昨年の十一月初め、晴れた午後「羽前成田駅」を尋ねた。西山がぐっと近くに見えた。今年一月なかばにも出かけたが雪の駅になっていた。「赤湯駅」より数えて十番目である。 「きっぷうりば」の窓口の左側に、大きな「鏡」がきれいにみがかれている。下に「三十周年記念」右に「西根村」左に「長井村」と書かれている。この駅を利用している二つの村民の心が綺麗に鏡に写し出されているようだ。鏡の置かれた頃の「二つの村」は勿論現在の長井市である。 「長井駅」から発車して北に五分もかからない処だ。ここ成田は約八十年むかし、分村運動が起きた所とは思われない静かな地区である。 「俺も年とったから、会のみんなさ迷惑かけっと悪いからやめさせておごやえ」と、昨年八月に亡くなられた平吹重郎さんに、こう「ことわり」にこられたことを思い出す。そう云えば平吹さんは「成田駅」の北の踏切りを西に超えた間近かの西館に住んでおられた。私が長井の「創画会」の事務局をあずかっていた頃のことであった。二、三回小宅まで歩いてこられたことがあり、或る時「今日は、俺の作った作品を持って来た」と風呂敷から出されたたくさんの「茗荷」を頂いたことがあった。息子か孫のようなわれわれ会員と一泊位の写生旅行に元気で一緒に過したことも何回か。静かにこれらの連中との雰囲気を大事にして自らも楽しまれていたようであった。 「長井のひとびと」第一集(昭和57年刊)の中に「父・重郎のこと」と息子さんの慎吉氏が書かれている。何回か読まされたが、静かに心を響き、残るものが強い気がするのはどういうことだろうと思う。「たけのこ」の作品が創画会に入るきっかけであったのが、この丁寧な見方、感じ方がそのまませんさいな絵に表われている。 そこから真摯な態度、考え方、或は慎吉氏の云われる知的好奇心の赴くままの生き方をなされたことなど、大いに学ぶべきことであろうと思う。 「たけのこ」の絵が「長井を描く市民絵画展」に出品されてから、もう二十年も経ってしまった。 【芳文54号】 #菊地隆知コレクションⅠ |
| 公開解説引用 | 【芳文54号】 |
