長井線駅シリーズ 梨郷駅

資料ID5306
作者菊地隆知
制作年1983
公開解説四月なかば、ここ「梨郷駅」に立ち寄った時は格別何も無かった。その後彫って刷ったのが七月、珍しく八月分と一緒に続けて作った。
その日、七月十八日は朝六時友が車で迎えに来てくれた。先頃の約束通り。花、お茶、線香等準備し、暫く振りで先生のお墓にお参りする事になった。代わる代わる三人の教え子が掌を合わせた。…三十余年の時間は香煙の中にまぎれて消え去り取り戻す術はない…。「お前はお先ぱしりだから落ち着いて行動する様に」と言われたのを覚えていると一人がふっと声にした。私は最後になった別れの時を思い出していた。「今泉駅」であった。昭和二十年小国町の工場で勤労動員中であった。同級生も予科練などに多く入隊していっていた頃であった。一人で連絡のよい米坂線に乗り今泉で長井からきた車の坐席を窓の外から探した。運よくこちら側の窓辺におられた。謹厳でやさしい柔かい感じの先生であった。不肖の教え子は、さいごに交わした会話の記憶を無くしてしまった。出征の途についている先生を「萬歳」と一人で大声を出して叫ばれる少年ではなかった。静かに頭を垂れ動いた列車が見えなくなるまでのいっとき両手を振り別れた事だった。それから内地で戦病死されたのは何ヵ月も経ってはいなかった。
この「梨郷駅」は先生の故郷の駅でよく乗られた所だったと気づいたとたん全くひとりで涙が彫っている板に流れた。彫刀が涙を持っているとは知らなかったような様(さま)になった。当時の県立長井中学校に先生も五年間通われたと思ったら小学校六年生の教室で先生と過した事のあれこれ、級友の顔々、これ迄亡くなった友人までもが一緒に涙の中に想い出に浮かんではかすんだ。未だ先生は三十前だったのではとも。
そういえばその朝都合で長井を留守にした友が「俺この頃涙もろくなったようだ」と言ったのを聞いたばかりであった。
短い時間の一齣しか生きることが出来ない人生、次々と継がれるそのじかんに、戦争だけは無くす努力をとそう思った朝であった。
【芳文48号】
公開解説引用【芳文48号】

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