長井線駅シリーズ 西宮内駅

資料ID5305
作者菊地隆知
制作年1983
公開解説長井から山形まで汽車で通った女の子が「西宮内駅」あたりに行くと「桜桃並木」を通過しているようだったと話してくれた。手を伸ばしていたその娘も熟れたさくらんぼの様な感じ。
畑の中に駅が在るような、駅の中に畑がある様な?所である。長いホームの端から階段をおりて行った小さな女の子が或は桜桃の、いや果物の国から来て汽車の通らない時間に時々遊んでいるのかもしれない。ずっと遠い西の山の上に飯豊山が綺麗に見える所だ。北側に見える小高い山なみは、特に県外などから帰って来た時「ああ、又帰って来たナ」と思わせる。四季のたたずまいは誠に心よい。
人家より一段高い処に漆山小学校が在り、その東側、森に見える所に寺の屋根がある。「むかしあったど。金蔵という一人ものあったど。貧乏なもんで、山さ薪(たきぎ)切りに行っては町さ背負(しょ)って行って宮内の町さ売りに行ったら、道端で鶴をいたずらしている餓鬼(がき)どもがいたっけど。金蔵はかわいそうに思って・・・」とそこに「鶴(つる)女房(にょうぼう)むかし」の伝説を残している。
おそい春、寺を尋ねたら庭の桜の樹の根元から十糎(センチ)程の小さな枝に花が咲いていた。数本の小枝、よく見ないとわかりにくい。もう青々とした緑の桜なのに。同じ庭にいちょうの大木、その真中辺に「宿り木」宜しく若い桜の木が伸びていた。金蔵が「二度とこだなどこさくんなよ」と鶴に教えて飛ばしてやった話が、本当にその昔なかった事ではないと、だんだん思わせられる。
「鶴が自分の羽毛(け)を抜いて機織(はたおり)したっけど」それを見られ、別れて飛んで行ってしまった。「金蔵は鶴を供養(くよう)さんなねという気持ちになって出家(しゅっけ)して修行をしてから寺を建てたど。その寺が漆山さある珍蔵寺だったど。始めは金蔵寺というていたが、後で珍蔵寺と名前を変えたんだそうだ。」この話は畏友武田正編の「雪女房」からおかり致しました。
寺の北側の築山?は全く美しい自然そのものですが、どこから自然なのかわからない。山は静かに続いていました。
【芳文47号】
公開解説引用【芳文47号】

PageTop