長井線駅シリーズ 宮内町駅
資料ID | 5304 |
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作者 | 菊地隆知 |
制作年 | 1983 |
公開解説 | 長井線「廃止反対」。沿線住民挙げての運動が続けられている。今年は五月、ここ「宮内町駅」駅前広場で「廃止反対」の気勢が挙げられた。 毎年ここに「臨時列車」とその「団体客」が駅を活きいきとしてくれてるそうである。東北の「お伊勢さま」と云われる熊野大社への参拝客でにぎわうときである。大社の近くにある双松公園は、「バラ」そして「菊」まつりの季節には多くの人を寄せている。 このまちはまた、すぐれた文化人を産み出している。その代表的なひとり、惜しまれて昨秋急逝された須藤克三先生の故郷でもある。児童文学者、また文化運動者として県内は言うに及ばず…先生の人間像は日が経つにつれ余りにも大なるものを感じさせられる。 「ふるさとの山は光る 子どもらは 太陽を呼ぶ」双松公園に建つ先生の碑文である。子どもらが登り、腹這い、よき先輩の思いを体に感じられるように出来ている石である。古希の祝意を自然石に込め、昭和五十一年六月六日除幕式が行われた。前日夜まで雨が降り関係者が気を揉んでいたら碑文にふさわしい日になってほっとしたことだったと記憶している。先生をひとことでは言えないが、肩苦しさを感じさせず私如きもわかるような話はよく聞かせて頂いた。蛙の鳴く頃思い出すような「蛙の相聞歌」?を面白く表現されたこともあった。 先生の児童文学碑はそのあと、蔵王上野(赤い大きなとりゐのそば)に昭和五十三年七月に建てられている。「太郎は 風になって山を駈け 雲となって天空を舞う」。私は更に子息正一さんの結婚式に書かれた色紙も桜桃を掌にして思い出す。「朝露に濡れて艶めくさくらんぼ 君の命と思ひこそすれ」 先生は又、置賜を故郷をよく心に掛けられていた。暖い励ましの言葉をよく頂いた事と長井線のエンを自ら滅したくはないと考える此の頃である。 【芳文46号】 |
公開解説引用 | 【芳文46号】 |