長井線駅シリーズ 今泉駅2

資料ID5303
作者菊地隆知
制作年1983
公開解説113号線の道路は、高畠町県境の二井宿峠を抜けて東側宮城県白石市につづいている。逆に西にむかうと南陽市、川西町(西大塚)、長井市の南に入る。
そのまま西にすすむと長井線(東側)米坂線(西側)が仲よく並んでいる所を上から眺めながら大きくまたぐように通り過ぎる。その二つの線のまん中頃に立って北側を向くと今月の表紙となる。丁度踏切りを小型トラックが荷を積んで渡り始めた所。「今泉駅」は画面上部に当たる。
「犬川駅」から五分で着く「今泉駅」は本紙五年前の十一月に立寄っている。駅前通りに二軒程の旅館がある。米坂線がまだ開通していなかった頃、駅前には数十台の馬車がひしめき合いすごいにぎわいだったという。茶店、小料理屋など繁昌したと聞くが開通後は次々と姿を消していったという。この稿を書き始めたとき、「米沢線を守ろう」と整備促進期成同盟発足のニュースがあった。四月に迫った国鉄の分割・民営化を目前にダイヤの改善と利用拡大を目指して、山形・新潟一丸となり強力に運動を展開していくことを決議したことを知る。ここ今泉からも仙台行きの直通に乗れたのは何年前であったろう。米坂線は東日本(太平洋側)と西、日本海側を結ぶ重要な路線であろう。
同じ頃の新聞に、イラクの空爆でイランの「紀元前の文化遺跡」一万件以上が破壊されたというその受難の報道があった。紀元前五〇〇〇年前後の遺跡のある町が、これまで百六十発のミサイル攻撃を受け七千~八千の史跡や宗教建造物が破壊されたという。またそのほかの町の多くの文化財ががれきとなったと。数十年しか経っていない線路とイランの遺産をくらべるべきものではないだろうが、壊されたら元に戻らないのであろうし、戦争の無残さは愚そのものだろう。
先刻の踏切に行く途中の「正一位 稲荷神社」に寄ってみる。賽銭を入れる格子から中を見たら「韓信の股くぐり」の絵馬が奉納されていた。
ここの祭神は保食(うけもち)命(のかみ)(稲荷神)白山比咩(しらやまひめ)命(のみこと)(白山神)「由来」昔は稲荷大明神と呼ばれておりましたが、明治三年稲荷神社と改名、明治四十年、白山神社を合祀、例祭、四月十七日、八月十四日、十五日。
明治三十四年今泉大火で全焼、同三十九年再建、大正五年本殿再建によって中断されていた祭りの獅子舞が再び行なわれ現在にうけつがれています。‐略‐
社の後は線路に近い所、前の道路は日に十一本(片道)赤湯のバスが通っている。

公開解説引用【芳文90号】

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