長井線駅シリーズ 今泉駅

資料ID5302
作者菊地隆知
制作年1983
公開解説今泉駅」の南の踏切の更にちょっと南の線路の上を、113号線なる大きな道路が通っている。そこから下を見ると西側に米坂線、東側に長井線と仲良く「今泉駅」に入ってくる。逆に南を向くと、静かに「米沢」と「赤湯」に分かれてゆくのがよく見える。
大正三年十一月、駅の開業が長井線開通と同じという。その八年後、米坂線も開通されている。
「長井郷」と称していた頃のこの辺の境界の地はまた、戦場の地、数百年前を偲ぶ話を残している。伊達宗達が大軍で進撃し、長井広房(米沢城主)の領地(長井・鮎貝)一帯を手にする。長井方家臣新田遠江守が対陣、援軍の到達を待つ。形勢不利とみた伊達勢の計略にのり新田は家臣ともども殺害さる。
その後伊達勢は米沢城をおとし置賜一円を占拠、伊達時代を築いたと聞く。新田遠江守の霊を慰めるため、伊達氏はその地に「五輪塔」と家臣六人の石碑「六本仏」を建て供養している。「塔」は市文化財に指定され現在は上歌丸の金鐘寺にまつられている。
 先頃レバノンに起きた爆弾テロの事、戦に終止符を打ち平和への話し合い路線を始めたばかりだったと云う。歴史の中にはどうなっていくのかあらためて洋の東西、大小は別にしても昔も今もと考えさせられる。
今泉には、大規模な福祉団地が整えられている。駅から東に一キロ。特別養護老人ホーム寿泉荘、おいたま荘。精神障害者、身障者の救護施設、やまなみ学園、泉荘など恵まれた大自然の中に。
今年も何回か「今泉駅」を通過した。駅舎に近い所から幾つかのサークルになって赤い花が炎えていた。サルビアであった。そばにダリヤの大きなのが蕾をたくさん持っていた。それぞれの花の名が立て札にあった。
今片仮名の名は一つも思い出せないが、「残雪」「白雪姫」或は「淑女」等々、咲き初めた頃見た漢字の花の名を覚えている。
花、花、そう、ここは「花の長井」の表玄関である。
公開解説引用【芳文50号】

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