長井線駅シリーズ 西大塚駅
資料ID | 5301 |
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作者 | 菊地隆知 |
制作年 | 1983 |
公開解説 | 全く珍しく早く起床。杖を持ちその手を離して行先を決めるような調子で今日もブッツケ本番の平凡な一日が始まった。 九月五日(月曜日)晴れ、だんだんと暑くなりそう。タクシーを呼び長井駅まで三九〇円。山形直通に乗る。「西大塚駅」まで一四〇円。「今泉駅」までと同じ運賃で到着。降りたのは一人。客として約二十名、主として高校生が乗る。駅長宜しく車が視界より去るのを見届ける。駅舎と自転車がたくさん広場を埋めている所を簡単にスケッチする。 この駅付近は置賜地方のほぼ中央であるから、 〝ヘソ〟だそうだ。ここ川西町には県立総合コロニー「希望ヶ丘」がそのすばらしい自然環境の中から、社会復帰、社会参加を目指す障害者の訓練など又その歓声が響くという。が、今は駅近く東の踏切りを超え北東の道に脚を運ぶ。ねこじゃらしなどの雑草が多く道の右、左の草むら。十数分で長井との境になる最上川に出て「まつかわばし」を渡る。もう長井市伊佐沢。 そこから一気に歩き登り「安希ぼの聖観音」の前に立つ。駅よりちょうど一時間経っていた。身体障害者の足であるが昔の道とは大部違っている筈。今はごく近くまで舗装である。一昨年止った心臓がようやく順調に動いてくれている。でもどの位歩けるか不安はあったが終った。よくわざわざ歩くとはと思う。初めから観音様のご利益をあてにしては歩けただろうかとも。只歩くだけの所にご利益はこないとも。 昨年六月五日聖観音の開眼供養があった。極上の晴天、集まった人は観音晴れと云った。私は七ヶ月余の病院ぐらしから数日前に出たばかりで、額の辺りが陽に焼けたことを覚えている。供養の後、各地から多くの方々が観音様にお詣りしてその慈愛を得られている事と思われる。年老いた親を背負ってのおまいりも数多く見られると云う。今日は焼ける程の暑さはなかったが、この聖観音堂産みの親に感謝しながら帰る。たまたまお詣りに来られた車に便乗させて頂いたことより、もっともっと大きなものを感じさせてくれる処であることと一回一回自分の心の中に得るものがなければ、と思った。 |
公開解説引用 | 【芳文49号】 |