松窓 乙二

人物名(ヨミ)ショウソウ オツニ
人物名(英語)Otsuni SHOSO
国籍日本
出身地白石城下

略歴・解説

松窓乙二は白石城下(現在の宮城県白石市)に生まれ、本名を岩間清雄といいました。父の清馨は雅号を麦蘿、白石城主の片倉家から扶持を受けていた千住院住職であり、修験僧でもありました。乙二は父の跡を継ぎ、千住院住職となります。

父の影響で俳諧をよくし、仙台や江戸の俳人たちと交流を重ね、自らの道を深めました。松前藩の梁川移封後、文化7年(1810)に乙二は箱館に入ります。乙二はここで俳句結社「斧の柄社」を創設して俳諧の指導にあたり、文政2年(1819)までの間に計4回、松前を訪れています。松前の斧の柄社は、のちに松風社と名を変え、現在に至るまで存続しています。

 なお、「松前家と親戚関係にある片倉家の密命によって、乙二は東北と松前を行き来し、松前藩復領に向けた情報連絡の役割を担っていた」という説もあります。
 この真偽を裏付けるものは確認されていませんが、松窓乙二と蠣崎波響の親交は確かなもので、二人の合作も残されています。

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