石井 潭香

人物名(ヨミ)イシイ タンコウ
人物名(英語)Tanko Ishii
国籍日本

略歴・解説

文化3年(1806)に江戸で生まれ、文化4年に父が幕府の蝦夷地直轄化に伴い同地赴任を命じられ、両親と共に松前に移りました。文政4年(1821)12 月、松前藩の復領が決まったことから江戸に戻り、間もなく市河米庵に入門しました。
しかし、国内の停滞する書法に飽き足らず、長崎に出て清人江芸閣に直接中国の書法を学び、1年余りで帰郷しました。

天保4年(1833)、天保の大飢饉により生活が困窮すると、人の勧めに従い、稲作が行われず飢饉の影響が少なかった松前藩に出仕し、世子松前良広に近侍して起居動作を教えました。江戸と松前を頻繁に往復し、嘉永6年(1853)の藩士名簿では古組御徒士格(江戸詰)、慶応年間では御手先組格にそれぞれ属しています。

明治2年(1869)、徴命により東京で太政官大録となり、1銭銅貨・2銭銅貨・1円銀貨等の文字を手がけ、死後、金工師・加納夏雄の雛形で発行されました。

潭香は幕末の三筆について市河米庵を「俗書」、巻菱湖を「書中の郷愿」と批難し、貫名海屋を最も評価しました。

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