松前 崇広

人物名(ヨミ)マツマエ タカヒロ
人物名(英語)Takahiro MATSUMAE
人物名(別名)為吉(幼名)、存斎、霞城
人物名(別名ヨミ)、カスミシロ
国籍日本
没地松前

略歴・解説

文政12年(1829)、松前家14世、第10代藩主・松前章広の六男として生まれます。幼名を為吉。嘉永2年(1849)6月に松前家16世、第12代藩主・松前昌広の隠居に伴い、昌広の養子となって家督を相続、為吉あらため松前崇広、松前家17世、第13代藩主となります。同年、幕府から外国船打ち払いのための築城を命じられ、安政元年(1854)に福山城が完成し、松前藩の悲願であった城持ち大名となります。

 元治元年(1864)、外様大名でありながら幕府から老中に任命されましたが、慶應元年(1865)に朝廷(天皇)の許可なく『兵庫開港』を幕府が決めた問題で、同じく老中の阿部正外とともに責任をとらされる形で官位剥奪となります。
松前で謹慎処分となった崇広は、翌年4月に熱病を患って38歳という若さで亡くなります。文学・武術に秀で、西洋事情に詳しく、開国論者でもありました。

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