大原 呑響

人物名(ヨミ)オオハラ ドンキョウ
人物名(英語)Donkyo OHARA
人物名(別名)左金吾
人物名(別名ヨミ)サキンゴ
国籍日本
出身地陸奥郡大原村

略歴・解説

名を翼、字は雲郷、通称を左金吾。雅号は呑響、墨斉です。陸奥国岩井郡大原村(現在の岩手県一関市大東町大原)の生まれで、幼少より学を好んで漢籍を修め、兵書や書画にも通じた人物でした。

天明3年(1783)に松前に来遊し、蠣崎波響(広年)の邸宅に寄宿。翌年まで波響の師となりました。寛政6年(1794)、藩主であった松前道広は、大原呑響を兵学者として招聘するために波響を上洛させ、説得にあたらせました。翌年、呑響は松前へやってきましたが、道広は自らの兵学を用いるとして呑響の意見を聞き入れず、1年ほどで呑響は松前を去りました。

呑響は水戸藩の史館総裁である立原翠軒と出会い、道広が語ったという松前藩とロシアの密謀を暴露。さらに松前藩の内情を暴露した『北地危言』を著しました。このことが松前藩の梁川移封の一因となったのです。

この人物の資料一覧[全4件]

件ずつ表示

PageTop