福山城(松前城)本丸御門

福山城(松前城)本丸御門

資料名(ヨミ)フクヤマジョウ(マツマエジョウ)ホンマルゴモン
解説福山城は、松前城とも呼ばれ、北方警備の重要性から幕府が特旨をもって築城を命じたもので、高崎藩の兵学者市川一学の設計により、嘉永3年(1850)に着工し、安政元年(1854)に完成した、我が国最北に位置する、最後の日本式城郭である。
明治8年までに、城内は開拓使の命によって取り壊しとなった。その際残された三層天守と本丸御門および東塀が昭和16年(1941)に国宝指定となった。しかし、昭和24年(1949)6月5日、役場火災の飛火によって天守・東塀は焼失し、本丸御門(大手門)を残すのみとなった。
福山城唯一の遺構となった本丸御門(大手門)は、昭和25年(1950)8月29日重要文化財に指定された。 切妻造り、銅板葺き、三間一戸両脇戸付き櫓門。南に面し、東方との三重櫓(天守)との間に塀が取りつけられている。
大分類歴史
中分類建造物
小分類城郭建築
文化財指定国指定重要文化財
年代嘉永6年(1853)
利用条件CC BY 4.0
資料ID644

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