福島正則禁制(草津市指定文化財)

所蔵草津市蔵
解説草津周辺は古くから、東西の主要道路の分岐点に位置し、交通の要衝として、時の権力者たちからも重要視されていました。
この禁制は、家康の部下であり、賤ヶ岳七本槍の一人に数えられる福島正則が、草津村にあてたものです。

禁制とは、ある地域を支配する者が、支配地に対して禁止事項を通達する文書です。「禁制を得る」ということは、禁制を下した人物の支配を受け入れるかわりに、その庇護を受けるという、安全保障の証明でした。

この禁制が草津村に下されたのは「慶長五年九月十七日」、つまり「天下分け目」の関ヶ原の戦いのわずか二日後のことです。家康は、関ヶ原の戦いに勝利して早々に、草津村を支配下に置いたといえます。そして、この禁制が下された翌年、慶長6年(1601)、家康は街道の整備に着手し、草津に「東海道草津宿」が成立しました。

PageTop