【解説】吉田斎場記
大分類 | 図書館デジタルライブラリー |
---|---|
中分類 | 神道文化関係 |
小分類 | 吉田斎場記 |
分野分類 CB | 歴史学 |
文化財分類 CB | 図書 |
資料形式 CB | テキストデータベース |
+解説 | 吉田斎場記(嵯峨天皇聖記)(後陽成天皇宸翰) [貴2148] 〈体裁〉掛幅装 〈寸法〉107.1糎×50.3糎(188.5糎×64.3糎 〈箱書〉蓋表「嵯峨天皇聖記 後陽成天皇宸翰」、蓋裏「有東文庫反古之内令表装 嘉永元年戊申歳五月」 〈解題〉 吉田斎場所が霊験の高い場所であることを示した文で、後陽成天皇の直筆(宸筆、宸翰)である。同じく後陽成天皇宸筆の「三社託宣」とともに吉田家に伝わった。同家は神道や古典を伝えた家である。後陽成天皇から、どのようにして吉田家に下賜されたのかは、今後、検討が必要であるが、「三社託宣」とともに慶長2年(1597)に下賜されたとする見解もある。 吉田兼俱[1435~1511]は、同家に伝わった神道に関する知識を中心に、様々な知識を取り込んで吉田神道を樹立した。その成立時期は文明年間(1469~1487)とされる。 斎場所は、八角形の太元宮を中心に伊勢内外両宮、全国式内諸神を祀る殿舎などにより構成され、吉田神道を具現化した施設として、吉田兼俱によって造られた。 同所は文明5年(1473)に兼俱の私邸内に造られ、同12年に吉田社(現在の吉田神社、京都府京都市)に隣接する吉田山(神楽岡)に移された。先述のような構成になるのは文明16年のことである。 文明16年8月22日、兼俱は、次のような夢を見たとされる。兼俱が神道行事のために斎場所に参詣すると、天皇がいらっしゃった。天皇が高御座に着座すると、傍らに法師がいた。法師は空海であり、天皇を守護するため、伊勢の神宮の内宮・外宮の神が、この斎場所・吉田神社が鎮座する神楽岡に降臨することが告げられた。この月の26日に日野富子[1440~1496]からの寄進があり、30日に造営が始まった(吉田兼致筆「霊夢記」)。 遷座は、同年11月24日のことであり、その前日に出された綸旨(「宣秀五位蔵人御教書案」所収「斎場所遷宮事」)には、本資料と同じ由来がみえる。 現在、斎場所は吉田神社の末社となっており、その建物は慶長6年(1601)に淀殿[?~1615]の寄進により、創建されたものである。 〈参考〉 ・宮地直一「吉田神道綱要」(『神道史 下巻(一)』(遺稿集 第6巻)理想社 1963年) ・福山敏男「鶴岡八幡宮と吉田神社」(『神社建築の研究』中央公論美術出版 1984年) ・岡田莊司「吉田兼倶と吉田神道・斎場所」(『国立歴史民俗博物館研究報告』157 2010年) |
+登録番号(図書館資料ID) | 貴 88 /貴 2148 |
資料ID | 143148 |
所有者(所蔵者) | 國學院大學図書館 |
- |