松竹図屏風

資料名(ヨミ)ショウチクズビョウブ
資料名(英訳)Folding Screen with design of Pain and bamboo
資料番号錦-030
大分類美術
中分類絵画
小分類日本画
所蔵館錦窯展示館
制作年代明治
技法日本画
材質紙・木
公開解説山本永暉の作品
「明治壬子初春/永暉」とあるため、明治の壬子の年は明治45年・大正元年(1912)と考えられる。
初代徳田八十吉が師事した画家。八十吉に「公暉」の雅号を贈っている

永輝は慶応元年(1865)大阪三郷(現:大阪市西区新町通)に生まれ、京都で西山完瑛に四条派を学ぶ。
上京し、狩野派の狩野探美、橋本雅邦について画風を深め、皇居正殿・豊明殿天井画制作に参加。
イタリア・パリの博覧会に出品するなど中央画壇で活躍。しかし、明治27年(1894)第5回内国勧業博覧会で審査員と衝突し、中央画壇から遠ざかる。
明治28年(1895)小松大文字町(小松では龍助町筒又と伝わる)一時居住し、徳田八十吉や松本佐吉に絵を教示した。
「悟雪堂大機」と称して全国各地を遊歴し、地に作品を多数残す。明治末 福井を本拠地とし、昭和27年(1952)死去。
鋭い観察眼と的確な描写力で四条派、狩野派に西洋的な視点を取り混ぜた独自の文人画を展開した。
署名・年記左隻:左下「悟雪堂/永暉」朱丸印
右隻:右下「明治壬子初春/永暉」朱丸印
制作者山本永暉

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