前田利常書状「前田家跡目の書状」

資料名(ヨミ)マエダトシツネショジョウ「マエダケアトメノショジョウ」
資料番号15-01-366
大分類歴史
中分類文書
小分類近世史料
所蔵館小松市立博物館
寸法19.2×55.2㎝
資料群名前田家跡目の書状
作者・差出人前田利常
受取人生嶋玄蕃頭
制作年代1645(正保2)年6月13日
形態軸装
材質
記述内容今十三日為 上使/酒井讃岐守殿松平/伊豆守殿を以筑前/跡職之儀、犬千代/幼少之処、今之砌被/仰付忝仕合御座候、/此等之趣宜預御心得候、/恐々謹言/六月十三日/小松中納言 利常(花押)/生嶋玄蕃頭殿
公開解説 前田利常の長男の光高が正保2年(1645)4月5日に亡くなったが、その後の6月13日、利常が生嶋玄番頭に宛てた書状である。
 6月13日、幕府の使いとして酒井忠勝(讃岐守)と松平信綱(伊豆守)が前田家江戸屋敷を訪れ、光高(筑前)の跡はその子の綱紀(犬千代)に継がせることとしたが、綱紀は幼少であるため、今の藩政を執ることについては利常に仰せ付けたことを伝えている。
 なお、この書状の宛て先の生嶋玄番頭(秀成)は、利常の四女の富姫が嫁いだ八条宮に諸大夫として仕えていた人物である。

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