菊川英山

KIKUKAWA, Eizan
1787-1867

作家略歴

浮世絵師。名は俊信、通称は万五郎。号は重九斎など。狩野東舎の門人であった父 英二に、次いで四条派の鈴木南嶺に学ぶ。また、友人の魚屋北渓を通じて北斎流の画法も摂取した。1806年に喜多川歌麿が没した後、晩年の歌麿風でありながら独自の甘美な美人画を描いて人気を得る。美人画中興の祖ともいわれるが、やがて、大衆の好みは歌川国貞や門人の渓斎英泉に移り、文政(1818-31)末以降、錦絵制作はほとんど見られない。晩年は、娘の婚家に身を寄せ、狂歌本の挿絵、双六、絵馬を描いた。

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